塾長 染谷浩明

伝統空手時代

国際松涛館 全日本大会

昭和57年頃

金澤弘和館長率いる、国際松涛館全日本大会。

組手・型とも入賞したようだ。

後列の向かって一番左が私。

於:代々木第二体育館 

 

(社)日本空手協会 全国大会

昭和59年頃

(社)日本空手協会 全国大会で演武を行った。

協会は、まだ当時は今のように分裂しておらず、一枚岩の巨大勢力だった。

 

 

 

向かって右から、当時大学空手で全日本を連覇していたT大の福原氏。

そのお隣、阿部圭吾先生。

そして、香川政夫先生。

一番左が私。 

 於:日本武道館

 

 

 

 

 

フルコンタクト系空手時代

大道塾 北斗旗 無差別空手道選手権大会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空手道大道塾の北斗旗無差別

写真①右側の赤いマスクが私。

単身、他流派で出場。

極真元全日本チャンピオン、東孝氏主宰の大道塾は顔面パンチ・投げ・寝技あり、体格差があると金的蹴りまで認められており、東氏の空手観を反映したルールとなっている。 また、私も大いにこの空手観に共鳴し、何度か出場させて頂いた。 現在は空手道を改め空道を名乗っている。

全日本キックボクシング

全日本キックボクシング。

右側が私。

リングの中で素面にて倒し合うのは、やはり厳しい事だと実感した。

 

於:後楽園ホール

 

 

 

全日本キック年間表彰式

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全日本キック年間表彰式。

一番左、私。

新人賞を頂くことができた。

於:キャピタル東急ホテル

 

 

 

全日本キックミドル級1位決定戦

 

全日本キック

ミドル級 1位決定戦。

 

 

 

 

トーワ杯 カラテジャパンオープン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出ている自分がこう言うのは何だが、今や伝説の大会となった 第一回トーワ杯カラテジャパンオープン 。  

この大会はベスト8に食い込み、優秀選手賞を頂いた。

 

於:東京武道館

              トーワ杯とは何か?

 

空手界には様々な流派があり、それに伴い様々な試合ルールがある。

そして、そのルール毎、更にそのルールを採用していても、団体が異なれば各団体毎に

全日本チャンピオンが存在することもある。

 

そんな混沌としている空手界で、

「誰が日本の空手界で一番強いか決めましょう。

ルールは各流派の最大公約数として考えられる、

グローブ着用の顔面ありの、KOルール。

更に、体重無差別、顔面肘有り、決着が着くまで延長戦無制限にしましょう。

伝統系の皆さんは、普段寸前で止めている拳を実際に当て、倒して下さい。

極真系の皆さんは、普段胸を叩いている拳を少し上に向け、倒して下さい。

優勝賞金は500万円です。

このルールで、真の空手日本一を決めましょう」

というコンセプトの元、当時の格闘技雑誌を中心にこのトーワ杯は企画・運営されていった。

ちなみに主催は公平を期すため、空手団体でない第三者的立場のトーワ企画という会社。

当時、注目を集めた大会だった。

現在は極真なども一部の団体は自流で顔面ありをやっていたり、普通にキックに出ていたりしているが、まだまだこの頃は「手による顔面攻撃はどうするのか?」という事が空手界では命題になっていた。

その答えの一つが、このトーワ杯ではなかったのかと思う。

 

ただ、上記のようなコンセプトで開始されたこのトーワ杯だが、回を重ねる毎に、

いちグローブ空手の大会になってしまった感は否めないだろう。

 

ちなみに、本来はこのトーワ杯のルールのことをK-1と呼んでいたのである。

    

 

 

 

 

白蓮会館 全日本マスターズ

 

 

白蓮会館主催の全日本マスターズの大会

有段の部重量級 準優勝

実は顔面なしの試合は、この時が初めてであった。

 

 

 

 

 

 

 

ブラジリアン柔術

 

2008年 全日本マスターズにおいて、自分のカテゴリーで優勝した。

 

全くの独学で始めた(当時いた道場生と)ので、この結果により青帯を締められた時は、感無量であった。

 

 

また、何故、空手なのに寝技をやるのか?という質問をたまに受けるが空手だからこそ、やらなければいけないと思うのだが、この辺はどうも理解されづらい。